ぬか炊きは、小倉の食卓で受け継がれてきた魚の郷土料理です。報告書は、その背景を、米ぬか、ぬか味噌、海に囲まれた小倉の地理、農繁期の保存食という複数の視点から整理しています。 歴史をたどると、ぬか炊きは一人の料理人が突然作った名物ではなく、地域の暮らしの中で形づくられた料理であることがわかります。
米ぬかと小倉の暮らし
報告書では、米ぬかが豊前小倉藩で「糠藁」として村々から藩へ上納が義務付けられていたことが紹介されています。 根拠として挙げられているのは、『郡典私志』や、田川郡添田手永・中村家文書の「糠藁勘定帳」です。 米を精米する過程で生まれるぬかは、単なる副産物ではなく、地域の生活や制度の中で扱われていた存在でした。
じんだと呼ばれたぬか味噌
ぬか味噌は「じんだ」とも呼ばれてきました。報告書では、鎌倉時代の『徒然草』第98段に「糂汰瓶」の記述があることが示されています。 また、寛永3年(1626)12月22日付の細川忠利宛、細川忠興(三斎)書状には、ぬかみそを贈られ、その風味に満足した旨の記述があるとされています。 細川忠興は関ヶ原の戦い後、豊前国1国と豊後国の一部を治めた人物です。
これらは、現在のぬか炊きそのものを直接示すだけの資料ではありません。しかし、小倉周辺でぬか味噌が食文化として重みを持っていたことを考える手がかりになります。 ぬか床は、野菜を漬けるためだけのものではなく、魚を炊く調味料として地域の料理に取り込まれていきました。
三方を海に囲まれた小倉
小倉は、響灘・周防灘・関門海峡の三方を海に囲まれています。報告書は、この地理的環境により、サバやイワシなどの青魚が豊富に獲れたことを、ぬか炊きの食文化が生まれた要因の一つとしています。 魚が手に入り、米ぬかやぬか床が暮らしの近くにあり、保存や調理の知恵が必要だったこと。その重なりが、ぬか炊きを小倉の料理にしていきました。
農繁期の保存食として
報告書では、ぬか炊きが農繁期の保存食として大量に作られていたことも紹介されています。 忙しい時期に、魚を日持ちさせ、ご飯に合うおかずとして食べる。そこには、派手な名物料理とは違う、暮らしに根ざした実用性があります。 現在の飲食店で出されるぬか炊きも、こうした家庭料理としての記憶を背負っています。
唐辛子と山椒が入る小倉のぬか床
小倉のぬか床は、唐辛子や山椒が入っているのが特徴とされています。 ぬか床の発酵香に、香辛料の輪郭が加わることで、青魚の脂や香りと釣り合う味になります。 味処矢野のぬか炊きでも、ぬか床そのものを調味料として活かす考え方を大切にしています。
歴史を食べる料理
ぬか炊きは文化庁の「100年フード」に認定され、農林水産省「うちの郷土料理」にも掲載されています。 認定や掲載は、料理が古いというだけでなく、地域の人々が食べ続け、語り継いできたことの表れです。 小倉でぬか炊きを食べることは、魚とぬか床の味を楽しむだけでなく、米ぬか、海、家庭の保存食という歴史の層を味わうことでもあります。
出典:北九州市「北九州市の郷土料理『ぬか炊き』の食文化価値の再発見事業 調査報告書」(令和7年3月、文化庁 令和6年度「食文化ストーリー」創出・発信モデル事業)